2011年3月14日月曜日

震災備忘4

◎枕元の携帯ブーブーで起こされた。電話の主は、従兄弟から。夕方あたりに出向いてくれそうな。いろいろ助かる。
 
◎時計を見たら寝足りない。仮眠程度の時間なり。まぁ時間を無駄にするなというわけで起床。お気に入りの泥水のような色合いのコーヒーを調合。この苦さで一気に蘇生。

◎昨夜から最注視の原発。限られたケンズ・ネットワークで情報収集。とても良い方向へ向かっているとも思えず・・・ンンンと思っていた矢先、3号機の爆発が。悪い予感が当たるほど虚しいものはない。良いことばかり考えるパワーで押しきれたものかもと後悔する。

◎お昼頃。ようやく実家に3回目の電話が繋がる。母一人の様子。父はこういう時妙に張り切る。航空士官学校出の血が騒ぐのだろうか予科練出の叔父を従え買出しに出たという。一人実家に残された母の心細さ切々と伝わる。

◎小1時間して再度実家に電話。幸運にも繋がる。父帰る。さっきの母の様子を伝え慎重な行動を要請。でも分からんなぁ。返事だけだろう。困ったもんだ。叔父はもっと輪をかけた人。「兄貴いくべぇ!」「おぅ行くベぇか」的コンビだもんな。ボクのかなには同じ血が・・・

◎片倉さんのご実家の状況が未だ不明。同マンション住人のtwitterを発見したそうだ。その方によれば倒壊せずにあるものの部屋間階間が移動もできぬほどの状況らしい。ますます心配が募る。電話で心の揺らぎさえ感じさせない片倉さんは気丈な人だ。

◎会見、文句の矛先を政府に向けたくなるも、ここは専門家と必死で作業に当たる人たちへ感謝のエネルギーを送ろう。政府へ過大な期待を求めることより日本人の素養を信じ自らの力を信じお互い補いあい国難に取り組むと思うべし。こういう時にこそ正のエネルギーを発信せねば。

◎実際各会見は、する側も要領を得てきて適材を揃えてきて分かりやすくなった。会見は世界中が注視することをお忘れなく。

◎夕方、従兄弟がママチャリで到着。大泉学園~東麻布~若松町~高田馬場を巡回して大泉まで帰宅するとか、おおよそ走行距離は25キロから30キロくらいになろうか。ママチャリでは難儀であろうに。

◎仙台空港勤務の級友から携帯メール受信。やっと4日目で安否確認。>「なんとか残りました。ただ地獄を見た。生きてます。車も会社も流されましたが」“残りました”に目が潤む。

◎阪神大震災体験者の岩田くんより「術後の厳しさと闘っています」と骨髄腫瘍の手術から1週間の報告あり。骨盤を切って開いて患部を削ったとあればなおさら。落ち着いてからお見舞いに。

◎沖縄県の担当者より沖縄国際アジア音楽祭中止の報を受ける。本日航空券を受け取った矢先のタイミング。順当な結論かと思う。

◎一方我々は3月31日のイベント開催の是否をここ数日で決めなくては。ボクは粛々と遂行すべきと思っているがまずは各スタッフの意見を聞かねば。最悪のシミレーションは志津香さんとタッグで試案作りに。敢行案は藤木さん中心に試案作成を要請。

◎コンビニへ買出し。なぁ~もない。陳列棚の照明は消え、店内の蛍光灯もまばら点灯。エエゾ。若い小林店長大忙し。バイト君たちも素晴らしい。欲しい物はないが、お萩を発見。他にシチュウルウ、のど飴、スタック菓子類を。自宅には玉ねぎ、じゃが芋、さつま芋、大和芋、乾麺、缶詰、即席スープ、おつまみ類はあるのでどうにかなろう。それにしても芋類が多い、ガハハハハ。スタッフによれば、搬入の車を見てドカッとやってきてドサッと買っていくパタ~ンが多いそうな。後の人たちを考えて欲しいもんだ。

◎大阪の大西さんより、ニッポン、捨てたもんじゃないぞのメールあり。以下のリンクで力を!
じっさい今日の疲れが吹っ飛びました。
http://prayforjapan.jp/tweet.html

◎不眠不休の現場で頑張るみなさんに感謝多謝。ありがとうございます。