2010年12月30日木曜日

二日酔い

不覚にも、何年ぶりか?

昨日はどうにも体調が芳しくなく今年最後の宴に向かったのであります。
気が合う毛利さんとの忘年会ですから、会えば、飲めば、快調になるであろうと。

案の定快調開帳町会長!!!

毛利さん、ところで終電間に合ったのでしょうか???

こっちは反動大きや宴の後。

年の瀬の たまにはエエか 二日酔い 

これから会議だというのに…

2010年12月29日水曜日

巷は仕事納めとか

昨夜は、待ち電の主から6時チョイ過ぎに着電。

タイミングが悪く電話のチャンスを見つけられずの弁。
仕事納めの日に文字とおり仕事が終わる人ではない多忙の方だけに、
「お気に召されるな」と調子のよい返事をして開始が8時で再調整。

待ちわせ場所でまたまた30分遅れて御仁が登場。
昨夜ははすっかり攻守が入れ替わった。

いつもは逆ですから。

久しぶりにナンダカンダで終わったのは日が変わってから。

最近、胃腸の調子が最悪。
年末は、どうも付き合いが多くて、結局こうなってしまうのです。
大腸を47cm切除して早2年。
特に腸には気を使っているのですが、季節柄愛嬌振舞いの責務があります。
まぁ一献!は嫌いでないし。

油断もあるけど軽佻なお調子者で、ついつい勝てない宴の誘惑。

さらに寝不足が加わり、まっこと不調なり。

朝からのお願い事、いずれも不調不発。
意気込みは、やはり体調がモノを云うのであります。

今夜も、ひとつ宴があります。
これで今年は正真正銘の最後のやつです。

で、仕事納めはあるようでないような…

振り返れば振り返るほど、2ヶ月を無駄にした一件に石でも投げたくなるのであります。
時間は戻りゃせんですから。ニャロメ

2010年12月28日火曜日

待ち電話来たらず

もう6時が目の前。

今夜のアポの主から連絡がありません。

普通確認の連絡くらいあるもんです。
まぁ立場が変われば、こんなことを言うボク。

いつもは、そう言われているのでしょうなぁ。

更新、暇つぶし。

お粗末様でした。
御免なすってい。

年末の電話

時期的に喪中につきとやらのはがきが届くの今日この頃。
昨日も、また一通郷里の幼友達から。お母さんが去る18日に89歳で永眠した報せでした。
もうこれで5通になりましょうか。

関係者も入れると今年は7人が喪に服すわけです。

実はボクの心境も、まさに喪中。
11月3日に上海で通り魔の手により無念の死を遂げた大親友のことはここで少し書きました。

日系カナダ人のため日本のメディアは報じていません。
カナダのメディアと上海の外人用英語サイトのみ報じられた程度。
ことの詳細は依然不明でなんら公表されていません。

現地の公安は、家族に今後一切この事件については語らず諮問せずとの条件付きで遺体を引渡したそうです。
親友の遺灰は残された奥方と一人娘とともにカナダに戻りました。

以前この親友は、中国では命が実に廉価で無意味に扱われていると語ったことがあります。
この無念の死と不可解な事件に真相を知りたくなるのは日毎に強くなるのですが、現地での中国の友人たちも口を噤む現実に、中国の現状をまざまざと知るはめになりました。

中国をこよなく愛し、訪日するたびに座談議論の輪で唯一孤立しても中国を擁護その可能性を語った親友はもうこの世界には存在しないことを、ボクにはどうしようもなく信じられません。ただただ無念でなりません。

座談議論の常連の旧友たちも最近この死を機会に各自沈黙と格闘しています。各自が何を思い新たな年を迎えようとしているのか、ボクにはなんとなくわかります。

落ち着いたら、まだ上海に彷徨っているであろう彼の気持ちと墓参りに上海とバンクーバーへ行こうと昨日ひとりの友が電話をくれました。

2010年12月27日月曜日

適応力

ピュータの代わりに四苦八苦。
いかに使い慣れたものに隷属ささせられていたのか。

ず~っと前にマックからまずは始まったボクのパソコン歴。
21世紀とともにDellがオフィスにやってきてしばしマックとウインドーズマシンが頭の中に同居。

オフィスでDell.家ではマックの棲み分け。
結構この違いがおもしろくて頭のスイッチングが柔軟になった気がします。

しかし慣れの差は大きい。自宅は寝るだけの生活になるなると、本妻はすっかり側室に取って代わる。
そしてマックと離婚。この辺りわかる人だけにわかる謎の部分です。投稿しませんように。

以来ウインドーズ一辺倒。そして今ではマシンが変わっただけで、こんな調子。
なんともデジタルへの適応不足には…涙なみだ涙の川であります。画面に顔をひっつけて目を細めたり開いたりもうフィジカル的に限界。目が痛くなって涙の川。思考から体まで柔軟性がますます欠如。

年末の気忙しい中、いっこうに進まぬ作業に、いと淋し。
はて、これからどうなりますやら…?参りましたわい。

2010年12月26日日曜日

訃報 マイピュー太君昇天

とうとう寿命が尽きたかマイピュータ。
今夜帰宅して直ぐに起動を試みたのに、ウンともスンともナンとも…

一昨年の今頃入院用に用立てした台湾Asus製の Eee PCS101のネットブックでありました。
ネットブックといってもネットブックの中では当時は最高値の代物で、見かけも性能も満足。たった年2年ではありましたが、使い切った感があります。

しかし悩みの種は、データ。どうすんだろう…

これ以上落ち込むのはシャクだし。開きる以外に道は無し!

一から作り直し、書き直し。

この古いPCでどうにかするしかあるまいに。
しかしこのPC熱い五月蠅いの二重苦であります。

2010年12月19日日曜日

「坂の上の雲」の音楽

今夜は「坂の上の雲」を黒霧島をチビチビしながら視聴。
ワインを求めに行った近所のコンビニにいつものチリ産のCPのよいものがなく、本格芋焼酎に変更。

夕食とオツマミも買わなければならず、2本求める予算もなく、このHCPの黒霧島に手が伸びたのです。
名前からして「坂の上の雲」にピッタシ。7時半への放映へまさにアテンションプリーズが成立。

番組終了間近の、日露戦争開戦決定命令を以て東郷平八郎が手にする1904年2月5日「大海令第1号」のシーン。流れたBGMは、モチーフがシベリウスのフィンランディアでありました。
たしかにフィンランディアは愛国心を喚起する曲であります。番組での作曲家はそんな意味を思い起こしたのでしょう。

そして番組のエンディングへ続きながれるエンディングテーマ曲。なんでかくも目が潤むのでしょうか。ある意味この音楽次第でいとも簡単に日露開戦賛成者になってしまうこの怖さ。

かのナチスのゲッペルスが「三つのS」を管理すれば国民を御せるといった、セックス、スポーツ、ソング。まさにそれを実感。音楽が及ぼす感情操作の力は大きいです。

2010年12月12日日曜日

素浪人のオフ

今日は久しぶりに、やっとオフな気分です。
そんなときは、出かける前のルーティンが無くていい。

シェーバーも無し、加齢臭を消す男性コスメも無し、リストウォッチも無し、財布も無し、無し無し無し。
襟袖が解れ下地が見えるボロシャツ(POLOではなくBORO)を着てヨレヨレのジーンズで素浪人ぽくしているデレ~感が一番。訂正、素浪人でした。

このままこれから髪を切りに出かけます。
こんなときに必ず誰かに会うもんです。
でも最近とんと気にならなっくなりました。
なぁ~んかオンもオフの服装もこんな感じの毎日ですから。
とにかく、やつし感が大好きであります。

で、こんな姿で見舞いをされる母は、もう諦めたようです。
これじゃもう期待できない?ウフフフフ

まぁお好きなように。

2010年12月10日金曜日

NY派?LA派?

NY派?かLA派?とまぁアメリカの話題になったときに出るクエスションであります。

ボクの初渡米先は、LAでしたが、断然NYが好きです。
LAには、サンサンと輝く太陽とスペースがあっても、どうも好きになれません。
1週間で逃げ出したくなります。

サンサンと輝く太陽とスペースなら、シドニー、メルボルン、アデレードのほうが何百倍も好きです。
特にアデレードとメルボルンは好い。

嫌いな理由、ヒュウマン・サイズというかハビタブルサイズでないだだっ広さで拡散していてクルマ無しでは楽しめないからです。
歩く範囲で用が足せ楽しめる機能が備わっているタウンが好いのです。SFもそれに値しますが、坂が多いのが難点。

一番の嫌いな理由は、握手がユルイ。とにかく人を小ばかにしたような、あなたの手が汚いからちょっとだけ!のような触る程度。それって握手じゃぁない。NYのように、ガシッと、これが俺!分かったか!!のNYスタイルが好いのです。

拡散する町並みにあわせクルマ移動という個人主体の空間が日常化しているためか、人間関係が希薄になっているのでしょうか。

コンパクトシティ。スモールタウン。ある意味東京は世界一のコンパクトシティともいえます。だってクルマ要りませんものね。