2010年12月28日火曜日

年末の電話

時期的に喪中につきとやらのはがきが届くの今日この頃。
昨日も、また一通郷里の幼友達から。お母さんが去る18日に89歳で永眠した報せでした。
もうこれで5通になりましょうか。

関係者も入れると今年は7人が喪に服すわけです。

実はボクの心境も、まさに喪中。
11月3日に上海で通り魔の手により無念の死を遂げた大親友のことはここで少し書きました。

日系カナダ人のため日本のメディアは報じていません。
カナダのメディアと上海の外人用英語サイトのみ報じられた程度。
ことの詳細は依然不明でなんら公表されていません。

現地の公安は、家族に今後一切この事件については語らず諮問せずとの条件付きで遺体を引渡したそうです。
親友の遺灰は残された奥方と一人娘とともにカナダに戻りました。

以前この親友は、中国では命が実に廉価で無意味に扱われていると語ったことがあります。
この無念の死と不可解な事件に真相を知りたくなるのは日毎に強くなるのですが、現地での中国の友人たちも口を噤む現実に、中国の現状をまざまざと知るはめになりました。

中国をこよなく愛し、訪日するたびに座談議論の輪で唯一孤立しても中国を擁護その可能性を語った親友はもうこの世界には存在しないことを、ボクにはどうしようもなく信じられません。ただただ無念でなりません。

座談議論の常連の旧友たちも最近この死を機会に各自沈黙と格闘しています。各自が何を思い新たな年を迎えようとしているのか、ボクにはなんとなくわかります。

落ち着いたら、まだ上海に彷徨っているであろう彼の気持ちと墓参りに上海とバンクーバーへ行こうと昨日ひとりの友が電話をくれました。