2011年3月12日土曜日

備忘

◎地震後ほぼ1日が過ぎた頃、ようやく2回目の電話が実家につながった。
矢継ぎ早な口調とトーンから難儀の様子が手に通るように分かる。
塀が崩れる石の音が耳から離れないという母。心理ストレス化が気にかかる。
オヤジは買出しで留守。
両親の世代は、戦争に加え人生2度もこうした体験を味わうとは忘れてはいけない。

◎南相馬市の叔母夫婦の安否が依然分からず。
従兄弟も確認取れず。

◎片倉さんのご両親は、仙台の津波被害地区に実家がある。
同様に確認取れない様子。父上はあの時間いつものように海へ向かって散歩に出るのが日課だという。
心配だ。

◎仙台空港勤務の級友も依然気がかり。

◎気になる福島第一原発。うかつな発言を控えていたが、やはり最悪のシナリオが潜行していた訳か。
とやかく言うより、覚悟を決め命を掛けて拡散防止に取り組む自衛隊員たち東電スタッフほか関係者の仕事の成功を祈ろう。こうして犠牲的必死の作業を続けている人たちがたくさんいる。屈拝感謝。