2011年3月29日火曜日

震災備忘28 まず4月中旬を想起

おはよう福島!

◎昨日は骨髄腫瘍手術から3週間の友人を見舞いに西立川まで。手術記録の写真を見て少々閉口。痛みには強いが視覚的迫られるとどうにもならん。結構疲れた。ああまた思い出す。

◎約1時間の車内でマスク掛けの少なさに驚く。車内を見回しても3分の1にも満たぬ。今は最低マスクが基本だろう。どっからあの無防備が生まれるのか?子供ならまだしもいい大人にそれが目立つ。それでいて被災地産品の拒否と買い占めに走る心理を何と理解?していいのやら。

◎枝野会見の常套句となった「直ちに~」とは誰もが首を傾げる解読不明。体内被曝の症例では被爆後約ひと月後から徐々に被爆徴候が現れ出すという。体内被爆者の潜伏から発病までひと月後から5年?10年?20年?30年?が「直ちに~」の定義になる。

◎この定義により発症者への補償責任をあいまいにして回避させないように監視体制も要るしまたひと月後の起きうるインパクト対策に幅を持って講じておきたい。切に要望。 

◎菅総理の国会答弁。未だに「私」が見える。保身が見える。視察に何が役立ったとは、具体的にお答えなさい。

◎いわきの実家には今朝方勿来の従姉妹が来訪。買い物と笑顔で大いに役立つ。お礼に電話をしたが生憎留守。こっちは依然な~んもできず。歯がゆさ極まる。