2011年4月23日土曜日

震災備忘69 心中あれこれ

◎慌ただしい毎日。なかなか落ち着きません。体調が良ければなぁ~徹夜で挽回するのになぁ~と思ったら、「待てよ?」「来月60だよね?!」と気付く。今まで通りとなんら変わらぬペースでいること自体に無理がある。んだんだ。

◎生活規模は、4年前にダウンサイジングに挑戦してやっと最近慣れてきたのにペースダウンは放ったらかしだったわけです。極めつけは2007年に発症した頃は異常的生活でした。毎朝3時ころにオフィスの警備システムを作動させて帰宅。缶ビールで一息つけて就寝。3時間そこそこで起き出し。事務職よりやや遅れて出勤すること1年。やがて突然の下血。これで決定。大腸47cmを取る羽目に。最近このパタ~ンに戻りつつある。心の臓に加え腸もおかしい。ここは心腸いや慎重に。

◎この時期なるべく無駄を省きたいもののタイムマネージメントだけではない手間の要る課題も多々。是修行。そろそろ出家でもしようかとつぶやく。パンク坊主で生きるなんてなんか行けそうだなぁ。坊主はスキンヘッドだし。

◎いわきの深夜の震度5で実家に即電話。なかなか出ない。切ろうとした矢先に出た親父。「なんかデガがったなぁ」それで終わり。もう慣れっこだ。日常化で対応というより適応か…。老父はちゃんと順応している。凄い。

◎福島県は日本で3番目に広い県土を持ち、山あり海あり湖あり高原も森もある。別称美しまという。オヤジの仕事で、生を勿来で受け、その周辺をグルグルして後郡山、福島、白河、再度福島、さらに川俣、会津そして今のいわきに舞い戻った。そんな訳で地縁が県内各地に散在。

◎毎朝実家の風向きを聞いて一喜一憂するのでありますが、いわきがOKでも福島、川俣がダメ。ご存知の通り、50キロ離れた川俣、さらに10キロ奥の福島市はいまも放射線の数値はいわきの数倍に達している。単純に喜んではいられない心中複雑な毎朝を過ごす。

◎あす急遽仙台空港の友人が上京。逢わないわけにはいかない。夕方前に逢って酒席なるは必至。恐らく聞き役で慰め盃を進め交わし酔いも増すはず。それは良いが帰宅後それでは使い物にもならず。しかしこれでまた締切やもろもろの対応の遅れに拍車が…。心中複雑。

◎「ぴあ」の首都圏版が休刊の報。「ぴあ」を学生時代に立ち上げた矢内さんは同郷同窓。たしか海沿いの四ツ倉だったか計画避難区域の境近くにご実家が。今の彼の心中をふと思う。