2011年4月8日金曜日

震災備忘46 実証地震雷火事親父

◎昨夜の揺れ、大きかったですね。直ぐ様、実家に電話。当然不通でした。暫らくして開通したので被害のイメージが出来ましたが電話に出た母の声は依然興奮したままでした。指圧の効果もすっ飛んだようで、なかなかうまくいきません。まぁ気休めの冗談では、11日以降何十年ぶり父と同じで部屋で枕を並べる母は、親父のイビキより、やっぱり地震雷火事親父を実感しておるようです。

◎岩手一関に逗留中の片倉さんも地震で眠りを破壊されたお一人。メールによれば逗留先の叔母さんは昨夜の揺れくらいには平然とのご様子。仙台のご実家は、津波を避け深夜の高台避難を。さらに数日前にガスが戻った矢先にまた止まったとのこと。何処も被災地はまだまだ安堵は程遠くなかなか気が休まりません。

◎TBUの同僚にもう一人の岩手に縁の人が板倉さんです。昨夜の地震で判明したことが、お二方の両親の実家がまさに同じく一関摺沢とは、これはなにかの縁ですなぁ。

◎いわきは一部を除くと30キロ圏外とあって今盛んに議論されている避難勧告地域に該当しないのですが、ボクの心境は、前から言うように避難勧告はもっと早めに出すべきと思っていますし、今からでも可能なかぎり発令すべきです。そんなことを父と電話で交わしました。少なからず頭の片隅にはその覚悟が確認できていました。後は母でしょうか。いわきの天気は相変わらず曇り、無風。今朝緑内障で通院に出かけた父によれば市街地は人手が次第に戻りつつあるようです。

◎昨夜の体調は最低でした。久しぶりに心臓の裏、つまり背中部が鈍痛に支配された夜を過ごすハメに。どうもこっちもうまくいきませんなぁ。まぁなんとか朝方には睡魔が鈍痛を打ち負かしてどうにかこうにか睡眠を確保。気がついたらアポの時間寸前で飛び起きました。目覚まし無用で飛び起きるなど、深層心理に使命感がいまだ宿って機能しているようです。負けられませんもの。

◎5、6分ほど遅刻をして花園神社横にある新宿区役所第2分舎内の歌舞伎町タウンマネージメントへ飛び込みました。お陰さまで昨年以上の協力体制を確認することができました。事務局長以下みなさんのお役所仕事以上のことを発信したい意気込みを強く受信できました。この震災で複層する社会の中で各レイヤーに留まらない意識がミクスチャーできる機会がいまこそ確実なものにできる気がします。お陰で痛みも取れもした。しかしやることなすこと未だたくさん。ひとつひとつやるしかありませんなぁ。フーっ