2011年5月2日月曜日

震災備忘81 20059日

おはよう福島!

◎いわきに電話。父が出る。ということは母は留守。同じ病院に入院中の本家の伯父と叔母(母の妹)を予科練の伯父の運転で見舞いに行ったとか。まぁ伯父叔母だらけだこと。みんな仲良くがとても好い。今日のいわきは、強風注意報、西風に安堵。最高気温予想は20度。薄晴は黄砂の影響。

◎今日5月2日は、誕生日を明日に迎えた満59歳最後の日。じつに20059日目。うるう年を勘定したのでこの日数になった。不思議にも下二桁が59なのね。意味深い!もしや計算間違い?でもエエ。とにかく2万日はとうに過ぎた。前にも書いたが、42歳にハートアタックに襲われて命拾いをした。その時の若造お医者が、いろいろ検査をして、あと15年だからと仰せ使われた。

◎まぁそんなことにはならず、今に至る。その診断から3年近くになります。まぁだれもが言うセリフだが、生かしてもらっている。最近頓にそう思うのでありまする。皆様のお陰であります。屈拝感謝多謝。

◎端午の節句には、もう50年以上も前のころのこの時期になるとオヤジが物置から五月人形の箱を引っ張り出し箱を開けて陰干しをして後、時を見計らい組み立て床の間に飾るのでありました。子供心に人形たちから時を越えて流れる来る古の魂を感じたものです。日本男児への代代伝わる永遠のメッセージってやつを幼い心にも分かったものです。そしてお次は鯉のぼり。まぁ風がないときゃだらしない姿になるんすが風が出たら生き返る、それをじ~っと縁側で柏餅などを食べながら待つわけですわね。鯉たちが微風微動にも反応する楽しみも、つまり観賞する喜びもまた幼い時に覚えた気がしますなぁ。 

◎爺様の本家に行くとうち倍もあるでっかい鯉のぼりと数の多さにさすが本家、内孫はいいなぁと5歳年下の従兄を嫉妬のあまり虐めたもんです。今は逆にこっちが虐められていますがぁなぁ。ボクは鯉のぼりのように日本人たるもの腹の無い真っ正直な生き方をしたいと誓ったのに、腹黒いし最近また腹も出て来もした。生きるのは、はい、現実はとても難しいものです。

◎しかし誕生日は明日でありますのに、Facebookには、フライイングのおめでとうメールがいくつか舞い込みます。有難いのですが不思議なことにみんな人生の先輩たちから。なんか無理やり60台に引き込みたいんだろうなぁ。老人の特徴は、たしかセッカチだったなぁ…ガハハハハ まぁ今日は楽しく過ごします。