2011年1月1日土曜日

哲学的正月に老いを感じ

これを読んでおられる数少ない皆様、

明けましておめでとうございます。
お陰さまで無事新年を迎えることができました。
有難うございます。
今年もいろいろお世話になります。

さて新年の抱負よりも昨日のご報告から。

昨夕2時間ばかし尊敬する先輩にお会いしました。
いつもと逆に、相談ごととかで閑散とした大晦日は渋谷のとあるいつものホテルのコーヒーショップでヒソヒソ。

用件は、ある作品に音楽を付けて欲しいとのことでした。
それがなかなか面白いアイデアでした。

そんなこんだアナコンダで、アイデアにグルグルされてたどり着いた
「日のない日」についてなど哲学的冗談で大人ふたりが額を寄せ合いました。
といっても相手はもう額も頭も区別つかないんですが。失敬。

日のない日、つまり、終わりから、なのです。
終わりがあるから、始まり、成長、旬がある。

行き着く所、森羅万象について考えたわけです。

なぜ、太陽はかくも眩しく輝き続けるのでしょうか?
なぜ、風は吹き雲は流れ波は絶えず打ち寄せるのでしょうか?
なぜ、暗闇の夜がありまた決まって光が注ぐ朝が来るのでしょうか?
そしてなぜ、星はキラキラかく美しくも煌めくのでしょうか?
そしてそしてなぜ、若さは力に満ち美しく弾けるのでしょうか?
そしてなぜ、心臓はかくもドッドッドッドッと鼓動し続けるのでありましょうか?

さて数少ない読者の皆さんはボクの心臓の秘密を知っていなさる。
ボクの心臓、92年から変な鼓動を続けています。画像で見ると、たしかに寄れて動いています。
しかしリズムにすると味があってエエグルーブでありますが、へそ曲がりだからとは前のGF。それは言えてる。ムムムム。

森羅万象に知足を授かる。『吾唯知足』(われただたるをしる)ってかな。

今年は終を意識して寄れた動きに磨きをかけ楽しい一年に。
皆さんにせめてもの楽しみを与えられますように頑張ります。

どうぞよろしくお願い致します。

2011年迎春  <(_ _)>