2010年6月14日月曜日

「はやぶさ」お帰りなさいまし

◎「はやぶさ」で思い出したのが、旧陸軍航空隊第一式戦闘機「隼」。「はやぶさ」と「隼」切っても切れない縁があります。

◎「隼」、ゼロ戦以上の旋回性能をもった名機です。これは日本のロケットの父、糸川英夫博士が空力設計に参加したものです。あの九七式戦闘機も、ニ式戦「鍾馗」もまたしかり。戦後ペンシルロケットではじまりその後オオスミまでの日本ロケット史はすべて糸川博士にたどり着くのは御存知の通り。

◎実は東京大学生産技術研究所時代の糸川教授の秘書が、ボクの叔母でした。帰省するたびに叔母から糸川博士の話を聞き出したくて追っかけもしましたが、な~んも話をしてくれませんでした。「ウチの妹が糸川先生の秘書なんでねえ」と自慢気に話をするのは親父や叔父貴たちばかり。その中には先月亡くなったヤッちゃんもいました。もしや叔母にとっては迷惑千万だったのかもしれません。守秘義務を守った叔母はさすがにプロの秘書でした。

◎ウチの父が航空士官学校に入ったのも、九七式戦闘機と隼に憧れたためとも。なにか・・・まぁ勝手ですが、この「はやぶさ」のニュースはうちの家系と遠からずも近からずな妙な縁を感じてしまうのです。何度も言いますが、まぁ勝手だとは分かっていても・・・分かるでしょうこの気持?!そう自慢話です。甥っ子もこうして自慢する訳です。ウフ。血は水よりもなんとやら。

きょうも元気で、良い一日を。