2011年7月22日金曜日

訃報続き

帰宅してから知りました。
中村とうようさんの訃報には驚きました。
8階からの飛び降り自殺とあって、さらに17日に誕生日を終えたばかりでしたから、ご自身の「中村とうよう展」もあったのに。

今野雄二さんの最期に通じる悲しい報せでした。想像の域を出ませんし不遜ながら、お二方の心底を察することができます。とても寂しく悲しくなります。また義理を欠いた自分にも恥を感じます。

とうようさんに関しては、ボクには名誉な体験を持っています。
1983年でしたか、それまで洋楽の売れ線を主に担当する立場にあって、ようやく好きなモノをやらせてもらえる資格を得たと勝手に思い込んで、音楽界の秘宝ともいうべきSavoy RecordsのTHE ROOTS OF ROCK 'N ROLLシリーズをさらに10枚にまとめ日本編集の復刻事業を企てました。監修はもちろん中村とうようさんと数年間決めていましたから、打診をしたところ直ぐに快諾をいただけました。

当時所属した先の社長は、そんな売れない企画に金を賭けるバカがどこに居ると何度もプレッシャーをかけ企画廃止を命じたのでしたが、壁になってくれたのが上司と、とうようさんでした。実際ビルボード誌には日本発の好企画と紹介され、アメリカからたくさんのオーダーがあったほどです。

当時Savoyの商標を大阪の某輸入盤卸商さんが所有していたために、日本でもリリース権はアリスタを通じフォノグラムが保有していたにもかかわらず肝心のSavoyの古いロゴさえ使えない状況にありました。そこでまず最初の大仕事が、とうようさんとふたりで大阪へ出向き使用許諾を取り付けるところから始まりました。

商標権所有の高齢な輸入盤卸商は、Savoyに限らず多くの古いレコード商標を日本で登録して法律上堂々の権者になっていて、業界からはあまり評判が芳しくない方でしたが、こちらの意向を汲んでくれて、真剣にリリースするなら無償で供与するとの望外な約束で許諾を出してくれました。それもすべてとうようさんの交渉術の成果でもありました。いつも舌鋒鋭いとうようさんが、柔和に相手を懐柔していく様子は今でも鮮明に覚えています。

その後8ヶ月、とうようさんの仕事ぶりに直に接し、ときに叱咤の嵐を浴び多くを仕込まれた経験は宝であります。そして、渡邉くんから、ケンちゃんへ呼ばれるまでに称号を与えられたときは天にも昇った気持ちでありました。

長らくの不義理のお許しを乞うと同時に謹んで哀悼の意を表します。どうか安らかに。合掌。